「西田学人生初の京都へ行く」エピローグ「小杉Bはいかにして大人へなったのか。」
エピローグ
「小杉Bはいかにして大人へなったのか。」
2016年10月。
京都旅行から二年の月日が過ぎた。
あの頃中学生だった俺らも今や高校二年生になった。
ふと最近塾の先生や学校の先生を見ていて考えたことがある。
彼らははじめ俺らにとても厳しく接する。
それこそ今では怒らないような些細なことでも全力で怒り激しく激昂した。
しかし時がたつにつれて彼らのそういった態度、接し方は見受けられなくなっていった。なぜなのか、俺は中1から高校二年生まで
まったく性格も変わっていないし、人間的成長もしていない。
そもそも俺は中1の頃から先生が怒るボーダーラインを敏感に感じることができた。これはしちゃいけないという分別はあの頃から付いていた気がする。
それなのになぜ先生はあの頃あんなに俺らに厳しく接していたのだろう。
少し掃除がもたついていただけで怒ったのだろう。
いまでは先生の方から掃除をせずに帰っていいと言われるのに。
なぜあの頃はそれほどまでに全てに厳しかったのだろう。
きっとそれは俺らを教育しなければならない対象と考えていたからだ。
学校というフィールドでは大多数の意見で物事が回っていく。
だから中1から変わらずおとなしかった俺がいても
彼らは我々中学一年生をやんちゃで無知などうしようもない対象としてみていたのだろう。実際に大多数はやんちゃなやつだった。
逆に高校二年生になった今、先生は殆ど怒らなくなった。
それはやんちゃだった生徒たちが次々と人間的成長を遂げ
大人になった生徒の割合が大多数を越したからだろう。
大人たちの会話でよくブラックなジョークで笑い合うというシーンをみる。
今では生徒と先生との間でそのような風景が見られるようになってしまった。
英語の先生「そういば、今週の日曜は中学生たちが運動会なんだよね。」
生徒「まじか~、なつー。」
英語の先生「君たちもやったよね、懐かしいですね。」
生徒「もし日曜が雨になったらどうなるんスカ?」
英語の先生「中止なんじゃないですかね。どうなんでしょう。雨になるかなぁ。
ちょっと皆さ、いま携帯出して天気予報見て調べてみてよ。」
生徒「じゃぁあとで調べときまーす」
英語の先生「いやいやいやww」
俺らの学校は携帯電話持ち込みが全面禁止だ。
中1の頃は携帯の話題すら出すだけで張りつめた雰囲気になっていた。
ただそれが守られていない現状が
今やブラックジョークとして生徒と先生の間で機能している。
俺らはおとなとなったのだ。
俺はずっと前から変わらない。
だから余計周囲の生徒が大人へなっていく過程を冷静に感じることができた。
そう。今俺は高校二年生の世界にいる。生徒の殆どが大人になった世界だ。
そしてそこには当然彼の姿もあった。
京都旅行。さんざん俺をかき回し、気を使わせ、疲弊させたあの男。
面白いからと塩昆布のびんを食べさせ、
公共物である枕のシーツを破り、
常に人の私有物であるカメラを勝手に使いまくったあの男。
そう。小杉Bである。
彼は中学三年生のとき学校の文化祭で高校二年生が地価の小講堂でギターを振りかざし音楽ライブをやっている姿に強い衝撃を受けた。本人曰くだがそこから彼の運命は位置づけられたらしい。その翌日には将来バンドマンになり
生計を立てるという誓いが彼の中に存在していた。
はじめ俺はどうせいつものマイブームだろう。ブームが過ぎたらいつもころっと忘れてしまう。彼のそういった性格の部分に何度痛い目にあってきたか。
カラオケに行っても数曲で飽きてしまい、ずっと携帯をいじくる。
学校の朝俺に一緒に下校しようと言っておきながら
実際下校時には他の友だちと下校してる。
文化祭で俺が映画案だしたときに
絶対にそっちに手を上げると言っていたのに
いざその時になると外の案に手を上げていたり
そんなあいつだったから発言を信用できなかった。
せいぜいもって一ヶ月だと思っていた。
しかしそのときだけは違った。
毎日毎日バンドやりてぇという日々。
それどころか今度は俺にギターを弾けと要求してきたのだ。
「オマエとは一生付き合っていきたい。そう思えるんだよ!オマエは!
俺と一緒にバンドで世界目指そうぜ!」
彼の壮大な人生パートナーに勝手に任命されてしまったらしい。
とうとう巻き込まれてしまった。そこからは彼の音楽理論をたっぷりとティーチングされる日々。京都旅行のときも彼の好きなロックな曲を頼んでもないのに移動中延々と聴かされた。俺は今回のブームは長いなと感じていた。
やれやれだと思っていた。そして京都旅行が終わり
再び学校での生活が始まり。2014年の暮れ。
彼からとんでもない発言が飛び出した。
「大学ももちろん一緒だからな」
彼の言い分は単純明快。人生をともにする人間だから進む大学も同じだと。
俺の志望する大学はこの頃からすでに決まっていた。
それが映像を心理の学問として扱う専門的な大学だ。映像に興味がない小杉はまず四年間モチベーションが続かない。
それを説明した。だがアビリティグットバイを使われてしまった。
「うるさい。だまれ。一緒に行く。」
やっぱり考えが浅い。そう思わざるを得なかった。
小杉には小杉の学びたい学問を学んでほしい。俺にあわせるために
心理学を学んでほしくなんか無い。俺とバンドをするためなんかに大学生活を軽く捉えてほしくない。そう思った。
結局中学時代の小杉は何を言っても大学の志望校は俺にあわせると言って聞かなかった。そして2015年2月。あいつのバンド熱は勢いを止めず
加速した。俺にギターを買って練習しろと要求してきたのだ。
「高校二年生になって俺たちも文化祭でライブしねぇといけねぇんだよ!」
「いやー…それは…」
「俺もドラム買うから。で練習し合おうぜ!」
新品のギターなんて高いに決まってる。彼の不確かな目標のためにそんなカネ出したくないと思っていた。それでも音楽という男の夢、小杉の夢を冷静に分析している自分がいるのと同時に、小杉と同じように音楽が大好きで
ギターを弾いてみたくってしょうがない自分がいることも事実だった。
中学1年の頃。俺はフジファブリックなどの音楽のPVを見て
ギターを弾く姿に憧れていた。そこでギターを買いたいという気持ちが生まれた。さらにクラスのイケてる奴らがバンドを組むらしかった。
そのメンバーの一人とはよく話す仲で交流があった。
ちょうど彼らはギターを探していた。そこで
「西田ギターやんね?」と言われた。すごく嬉しかったので
その晩に親と話して、ギターを弾くことを許可された。
しかし許された嬉しさとは裏腹にその話を伝えたとき
メンバーは喜んでいなかった。あのすぐ後にLINEでギターを弾いてくれる人が見つかったというのだ。クビである。
オマエがまさか許されるとは思っていなかったと言われた。その時悟った。
「やっぱり俺なんかはギターを弾いていい人間なんかじゃないんだ」と。
音楽なんてクラスの人気者がやることだ。
変にその世界へはいったらまたこんなことが起きる。
それ以来ギターを弾きたい。買いたいとは思わないようにしていた。
でも小杉というどうしようもないほど音楽に真っ直ぐで純粋な存在に
影響を受け、徐々に俺もギターを練習したいという気持ちが湧いた。
そして小杉にこの中1の話をしたら、思いっきり怒鳴られた。
「オマエ馬鹿か?オマエを切るわけねぇだろ?オマエと一緒にバンドをずっとやってくんだって何回も言ってんじゃねぇか!」
この言葉で俺は単純だがギターを買うことにした。
そして中学三年生の暮れ。俺はギターを買い練習を始めた。
ギターのお金は俺の16歳の誕生日でまかなった。
小杉に報告すると彼はメチャクチャ喜んでくれた。
「よっしゃぁ!おれもドラム買うからな!」
しかしドラムは9万。部屋に置くスペースが無いと断念。
結局俺だけが楽器を購入し練習していくこととなった。
やっぱりですか。小杉さんやっぱりですか。
小杉は自分もドラムを買うと言ってやっぱり買わなかった。
それでも中1のあの時の嫌な気持ちは感じなかった。
もうそれが小杉なんだ。発言は一切信用できない。
いつも能天気で反抗ばかりする。けどそれでいいんだ。
それも含めて小杉なんだと思えるようになった。
たとえあいつが本気でなくても良い。いつか飽きが来ても良い。
「バンドごっこ」でも良い。もし
「ごめん。やっぱり無理だったわ。てへ。」
と笑顔で言われても、俺が買ったギターは何だったんだなんて反論しないだろう。きっとやっぱりな。と笑い飛ばすだろう。なぜならそれが小杉だからだ。
そして俺は高校一年生になり小杉とはクラスが分かれた。
その一年間は小杉と初めて池袋の音楽スタジオでセッションしたり
なんだか有意義な気がした。小杉もきっと夢に向かって進んでいるんだと
思っていたに違いない。もしバンドはやらなくても俺が弾けるようになりたいからとギターもこまめに練習し単調な曲を数曲弾けるようになった。
「ごっこ」で十分だ。ずっとこんなゆるい感じでいいよ、と心で思っていた。
そして2016年。その時がきた。小杉が現実を知る時である。高校二年生となった俺は再び小杉と同じクラスになれた。1年ぶりの再会。去年は部活でしか
合うことができず普段の学校生活はほとんどしらなかった。しかし高校1年の小杉の学校成績は正直笑えないものだった。知っての通り義務教育は中学まで
高校からは進級できるかどうかが成績によってきまる。一年間の考査平均点が40点を下回れば即留年。三科目以上平均点30を下回れば留年。
小杉はその全てがギリギリを行っていた。首の皮一枚状態だ。
中学時代では笑い飛ばせていた彼の成績が
高校時代になり彼の首を絞め始めた。
そういった現実によるプレッシャーが、彼の無鉄砲だが明るい性格を奪ってしまった。彼は昔のように昼休みに俺を食堂へ連れては行かなくなった。
昔では必ずブチギレていたような俺の返答も平然と流す。
そう。小杉は以前のように自分の主張を通す性格は消え
押し付けがましくなくなったのだ。
良く言えば丸くなった。しかし悪く言えば、
小杉Bではなかった。
俺が知っている小杉は眼の前にいる。中学三年生から十分身長は伸びていたので体格的な差はない。同じ教室で授業を受けている。学校生活を過ごしている。
そのはずなのに、なぜか何かが違った。大人しくなったのは良いことだ。
京都旅行でもさんざん俺はそれを望んでいたはずだった。
なのにいざそれが現実になると京都での小杉が幻のような存在に感じられてしまうのだ。彼はどうなってしまったんだ?
体調が悪いにしては長引きすぎだ。もはやその大人しさは彼の性格の一部となってまったく動くことがないかのようだった。
彼は何になってしまったんだろう?その疑問に答えが見いだせないまま
日々が過ぎた。そして彼からこんな話題を振られた。
「やっぱり大学一緒ってのは無理なのかなぁ…」
ハッとした。あの小杉が、中学三年生からずっと言ってきた意見を非現実的だと自覚している。思わず「え?行くんじゃないの?行けるでしょ?なんで!?」
とまるで中学三年生の小杉のように。根拠もなく肯定する立場に立ってしまった。小杉は言った。
「うーん。なんかオマエが学ぼうとしてる映像にあんま魅力感じなくて…」
あぁ。そうか。
「かといって、俺学びたい学問とか無いんだよね。文学部もなんかだし。」
「あぁ…そうか。」
「うん…」
小杉は大人になったのだ。今まで目の前に映っていた小杉を大人という視点で見ると今までの疑問がすべて解決した。そうだ。小杉は現実を知って大人になったんだ。そうか。もうあの京都の小杉は、消えてしまったのだ。
今の小杉は常に悩み、将来の不安に怯えている。まさにこの高校二年生としてあるべき大人の姿だった。
それから数日して小杉が珍しく明るい顔をしていたので声をかけてみた。
すると小杉はある大学のパンフレットを見せてくれた。
それは「法政大学」のパンフレットだった。どうやら昨日一日法政大学生体験をしてキャンパスをまわったらしい。
「俺あそこ行こっかな。」
そういったときの小杉の顔が俺に何かを終わらせた。
そう。子供だった頃の小杉を完全に拭い去ってくれたのだ。
「そっか。よかったな!」
小杉はもう大人。あの京都旅行のやんちゃな悪ガキはもうそこにはいない。
でも。まだ覚えているのだろうか。大人になった小杉は
子供の頃に俺と過ごしたあの三泊四日の出来事を覚えているのだろうか。
俺は思わず聞いてみた。
「小杉。修学旅行で行った京都での出来事とかってまだ覚えてる?」
「あーあったなーあれ。でもなー
あんまり覚えてないんだよな。」
俺達はこうして大人へ変わっていく。
過去の思い出は消えていき、現在が更新されていく。
実際小杉も大人になり京都での出来事は殆ど覚えていなかった。
それでも、俺は覚えている。読んでくれたみんなも思い出せる。
小杉が忘れてしまったあの頃の小杉を思い出すためにも
この小説は存在しているんだと思う。
最後にこんな長い小説に最後まで付き合ってくれて本当にありがとう。
読んでくれた皆に感謝します。それではまたどこかで会いましょう。
2016,10,9
PS以上が全てです。長い間見てくださってありがとうございました。読んでくださった全ての皆様に感謝します。また何かあればここに載せたいと思います。