「西田学人生初の京都へ行く」第42話「京都修学旅行最終日はどのように始まったのか」
42話
その後小杉が地球外生命体という未知の設定をいいことに好き勝手に変態な設定を追加していった。
小杉の私物の財布を彼が最も崇め信仰している対象物にし
ソレを彼に与えることで機嫌が良くなると勝手に俺たちは設定した。
そして財布は小杉のケツの骨盤にのせた。
俺「小杉はですね…これが命よりも大切な信教物だといってましたからねぇ…」
三上「そんな親しい関係だったのね。その文明のお方と。」
俺「結構知識人でね。発達してるんですよ。こういう経済的な部分が、日本とも引けを取らない。」
ケツの骨盤に財布を置いても小杉Bの反応がない。
俺「あの、彼の文明ではこのケツの骨盤が一番感じやすいところなんですよ。」
三上「ここ…www」
俺「だから、手よりも…こっちのほうが触覚とか、感じやすいとこなんですよ。彼の文明独特のものです…」
俺「だから今、ホント、これが人間でいう手に持ってる状態なんです。コレが、見てください。」この辺り文字に起こす際俺は何を言っているんだと思ったが動画を見た際言ってる口調は真剣だった。俺は役者である。
三上「なるほどなるほど。」
三上も役者である。
俺「いやあれですよ。やっぱ大事なものなんすよ。コレ結構喜んでくれたから帰ってくれるんじゃないっすかね?」
三上「あ、なるほどなるほど。」
俺「あのすいません、もう帰ってもらえますかね…?コレで…帰ってもらえますかね…」
小杉 むくっ←起き上がる小杉。
俺「あっ!動きがありました。ちょっ…静観しましょう!」
小杉 うつ伏せになって完全に寝る体勢に入る。
俺「あ、ガッツリ寝始めましたね…これ、」
三上「wwwwwww」
小杉B ちょっと笑ってる
俺「完全俺もうここで寝るんだぜみたいな感じになりましたね…」
俺はもう打つ手が無いのでカメラマンとコンダクターを交代することに、
俺「三上さんもなんかやってくださいよ。ちょっと、」
小杉の顔に自分のケツを向ける三上
俺「なんか好きなモノとかさ…彼と触れ合った際に感じた感想とか…」
ブッ
三上は小杉Bにおならをぶっ放した。完全に異文化交流は決裂した。
小杉はめっちゃ俺の布団をバタバタ動かし、必死に空気を清潔にしようと試みていた。あぁ、なんかもう、疲れてきた。
俺「もう今日は俺、こっちで寝るしか無いかなぁ…」
結局オレは小杉を無理やりにどかし、布団に寝たがそれでも小杉に圧迫されることは避けられなかった。決して狭い部屋ではないはずのこの宿泊部屋、なのに何なのだこの閉塞感。酸素に限りがありそうでねれない。
思えばこの旅行も明日で最後、今日がなんとかギクシャクせず終われたので
もうこの旅行の一番のヤマも超えたと行っていいだろう。
明日のイベントは京都判別体験学習。京都奈良で和の伝統文化を体験学習する企画だ。そんなわけで俺はいよいよこの一年にも感じる四日間の修学旅行が終わりに向かっていくのを感じて眠りについた。
っていうか実際今日は京都最後の夜だし、確実に終わりつつあるのだ。
それではおやすみなさい。
00:10 西田学完全就寝 京都旅行三日目終了
最終日
6:00
最終日のアナウンスは誰だかわからなかったが我々は目覚めた。
ちなみに昨夜仕掛けた電子タイマーの目覚まし音を白川Tのセリフの録音音声を流すモーニングコールならぬモーニング白川T計画は失敗に終わった。なんか電池切れだかで俺が起きた時には時刻表示すらされてなかった。
6時30分にロビーに集合し説明を受けた。今日はさっき言った通り京都体験学習の種類によって行動する時間帯が違う、それについての説明が先生によってされたので俺はすごく真剣に聞いていた。しかし最後に先生がわからなかったらホワイトボードを見てくださいと言ったので命を賭けて話を聞く必要はなかったぽい。
さらにそのホワイトボードは昨夜から置いていたらしくつまり俺が昨日ホワイトボードを一枚パシャリしてさえすればこの話は全く聞かなくてよかったことになる。勝手に真剣になり勝手に疲労するという結果に終わった。
その後一旦生徒たちは自身の宿泊部屋に戻りチェックアウトの整理をしろと言われた。印象的だった言葉は「あと3分で部屋を出るよと言われても対応できるように」である。
6:43
我々も一旦部屋へ舞い戻る。
流石に最終日もあって交わされる会話はそれなりに終末感が漂っていた。
話の内容は主にこれから帰ったら何をするかということ。
しかし俺は明日決定事項の避けられない嫌なイベントがある。というか水泳部全員。
俺たち水泳部は明日この長い旅行が終わって疲れているのにもかかわらず陸上トレーニングの部活があるのだ。行くわけがない。
俺「てか、校内で筋トレっしょ?明日、」
三上「あぁ、頭おかしいよ。」
俺「うん。行くわけがない。」
実際に行きませんでした。
6:55
朝食のため我々は階段を降りた。
その際に俺はさっき先生が言っていたホワイトボードを写真でとっておこうと思った。ホワイトボードにはこう書かれていた。
(平岡中学校の皆様
お疲れ様です。
明日の朝の出発順は以下の通りです。
1.和菓子制作コースA(ししゅう館)②、③号車
2.金箔押しコース④号車
3.清水焼コース⑤号車
4.江戸時代体験コース⑥号車
5.和菓子制作コースB(おたべ本館)①号車
順に館内放送でのご案内を致しますので、ロビーに集まってください。)
みなさんはここで初めて見ただろう。
これが京都体験学習のラインナップの全てだ。
そして俺たちが選んだのは一番下の和菓子制作コース(おたべ館の方)である。
江戸時代体験コースは京都の映画村に行くということだったので
仮面ライダーでよく撮影に使われる映画村と聞いて俺は真っ先にそれを選んだが
ほかの皆の興味がなかったので第二希望の和菓子制作コースになった。
とりあえず今は朝食の会場へ向かわなければならない。
しかしここにきてまた資料不足。残念ながら朝食の描写をすっ飛ばさせてもらう。
8:42
いよいよ約二日間をともにした石長松菊園と別れを告げた。
手を振りまくった。バスの外には多武峰観光ホテルとの別れの時と同様女将さんや
従業員などが出てくれて手を振ってくれた。
バスガイドさん「はい、それではお待たせ致しました、出発させていただきます。
左側でホテルの方お見送りをしています。元気よく手を降ってご挨拶お願いします。」
バスに乗り込んだ俺と隣の小杉Bはホテルの関係者に手を振った。
しかし小杉Bはその横に貼ってある政治の広告がずっと気になってたらしい。
小杉B「だれあの人達」
俺「おい、そっち関係ねぇよオマエ、あっちを見ろよ。」
紙の広告の中にいる満面の笑みの政治家をずっと気にしてた。
俺「ピースしとこう。ピースしてほしい!誰か!ピースして!」
するとギリギリで一番端の女将さんが笑顔でピースをしてくれた。
俺「あ!やった!してくた!今してくれた!一人!」
やったぞ小杉B!見たか!
小杉B「名前がおかしすぎる。」
こうして俺は京都の人たちのノリの良さと小杉Bの無関心さを知って宿をあとにした。
9:00
俺が体験する和菓子屋制作コースの現場へ着いた。思ったほど遠くなかった。
おかげでバスガイドさんにも十分な時間が与えられず実力を発揮できなかったようだ。京都体験学習にはコースごとに同伴する先生が違う。
それは担任とは限らず我々和菓子製作コースBには昨夜班長ミーティングで
ちょっと怖い話をしていた英語の先生がついた。
ここはおたべ館。おたべ館という名前から想像して考えるに皆はこの施設がおばあちゃんたちがほんわかと開いている体験学習店の一つにすぎないと思っただろう。
てか、俺は思ってた。しかし実際は全然違った。ここおたべの正式名は株式会社おたべ。なんと現在京都だけでなく、全国の八つ橋のすべてを担っている大企業だったのだ。よってこのおたべ館もただの館ではなく八ツ橋を実際に製造している工場を持っていたのだ。おたべ館にあった資料やパンフレットを見てみるとどうやらおたべという名前はこの会社が売り出しているつぶあん入り生八ツ橋のことを指すのでありここ京都では八つ橋とは殆ど言わないらしい。おたべの由来は以外にも大阪の枚方にある「くらわんか餅」からヒントを得たらしい。
「くらわんか」という船頭言葉で「たべませんか?」の意味。 これを京都弁で上品にいうと、「おたべやす」。 けれども、商品名にしては長いということで、「おたべ」と命名されたらしい。もっと横文字とかカタカナとかつかえばカッコよくなるのにと思ったがこの会社、自らを名乗る名前にはかなりのこだわりと考えを持っており、「かっこ良くなる」というだけで横文字にする俺の浅はかな考えとは違ったのだ。それに彼らの名前のこだわりはまだある。全国にニーズを持つおたべは地方向けの商品を作る際どうしても認知の違いから商品名を「おたべ」ではなく「八ツ橋」としてネットに登録しなければならず、おたべという名前はせいぜいパッケージに表示するくらいがやっとなのだ。自らの名前封印せざるを得ない株式会社おたべ。しかし彼らは「八ツ橋」という普遍的な名前を使う際も独自の拘りを見せた。なんとおたべの生八つ橋の「つ」は、柔らかさをあらわすため、それまでのカタカナの「ツ」ではなく、ひらがなの「つ」を使っているのだ。
そうとも知らず俺はこの小説でもいままでずっと変換して一番上に出る八ツ橋の文字を入力し続けていた。さすが名前こだわり会社おたべである。
PS いよいよ最終日に突入しました。
のこり数話です。頑張ります。