「西田学人生初の京都へ行く」最終話
最終話
2015年12月
以上が三泊四日の京都旅行で起きた出来事の全てだ。
すべては本当に起こった出来事だし、枕カバーも本当に破いてしまった。
セリフも実際に動画に入っていたものしか使っていない。
まさにノンフィクションの小説なのだ。
今コレを書いているのは2015年の暮れだが
第1話を振り返ってみるとなんと2014年11月17日からずっと、
俺はこの物語を書いていたらしい。その間流れた時間は1年。
その間に俺の身にも様々な変化が起きた。
俺は無事中学を卒業し高校1年B組にクラス分けされた。
そして高校生になったので晴れてスマートフォンを手に入れることができた。
そして新年度早々中学生時代は縁もゆかりもなかった生徒会という機関に
所属してしまった。さらにその夏には生徒会の皆の力を借りて脚本、編集、監督を手がけた4分間の文化祭オープニングムービーを平岡学校の全員の前でスクリーン上映した。驚くべきことに話したいことはまだ尽きない。
そりゃそうだ。4日間でこれだけのことが起きたんだから1年も経ってしまうと
とてもではないが語り尽くせない。
こんなにも大きな変化をもたらす1年という歳月。もちろんその1年という時間の流れはこの小説にでてきた他の人間にとっても例外ではない。
旅自体は終わったがここで補足説明、
この小説に登場してきた人物のその後をすこしだけ綴っておこう。
「三上」
彼はその後高校1年F組となり相変わらず青春野郎のようだ。最近では俺が
スマートフォンを買ったので自分がハマっているゲームアプリを俺のスマフォにインストールして俺という対戦仲間を作ろうとしている。
でもあいつのハマっているゲームアプリは難解すぎるので俺がそのゲームにハマるにはもうすこし時間が必要だ。
「小杉G」
この物語の端と端で登場した男。前回の話で俺は小杉Gをこの小説に再び登場させたが実に1年ぶりの登場だったようだ。
彼とは今でも学校行事で外での集合が必要になった時は一緒に要町で会い目的地へ向かっている。そういえばこの前の学校行事の時
他の友だちの先約があった為前日にそれを述べたらドタキャンドタキャンってめっちゃ非難された。んでもって結局オレは先約の友達と待ち合わすことができず一人で集合場所へ向かうこととなった。
「小野田くん」
彼とは高校になってからほとんど話さなくなってしまった。
それでも彼が頑張っているということはわかる。
毎年行われる文化祭のジャグリング同好会によるパフォーマンスでは
彼はジャグリングによって玉を体育館の天井につけたうえでキャッチしていた。
今ではジャグリング同好会のリーダー的存在らしい。
どんな逆境に遭遇しても彼は持ち前の冷静さで必ず乗り越える。
三日目の京都自由行動で俺はそれを知った。
彼ならやっていけるだろう。
「島田くん」
こちらもクラスが変わってから話さなくなってしまった。
三日目の自由行動のグループづくりの際田中と口論になった際に
小杉は「小野田より島田くんのほうが良い」と言っていたので
俺は共に静かなキャラの2人にどういった差があるのだろうと疑問に思った。
その後わかったことだが彼のゲームの腕は並大抵のものじゃないらしく
同じゲームを一緒にプレイした際に小杉はそのあまりの島田くんのゲームの上手さに島田くんを憧れの存在としてみていたのだ。だから小野田くんより島田くんのほうが良かったわけだ。
「前川」
彼はこの小説では最初から最後まで悲劇的な運命をたどるキャラクターだった。
ちょうど登場したタイミングが小杉Bの腹痛による機嫌が悪い時だったから
大変だった。軽い気持ちで言ってしまった一言がその後の想像を絶する小杉の執念深さに追われることになり悪夢のような時間を過ごしたのだ。
後で本人から聞いた話だが実はあの時前川はまったく先生から怒られてはおらず、小杉のテンションを下げさせ制裁を回避するための演技だということが分かった。彼はその後水泳部でまじめに部活を出席し続け、さらに自宅に帰っても自主トレをしたりして記録の好成績を収め、現在では水泳部の部長となった。
「能勢」
能勢はこの小説の中での登場シーンは少ないが強烈な印象を残したことだろう。
「THE・いい人」、こんな子がうちにも欲しいと誰しもが思ったはずだ。
そんなTHE・いい人は現在の2015年12月12日まで考査での好成績をキープし続け常に数百人の中で1桁の順位を獲得している。いじられるのは今も変わらずである。
「大西&笹原」
一日目の宿泊の際同室になった生徒たち、
その中でも大西と笹原とは現在クラスが同じで1年B組である。
笹原とはテストのお互いの出来具合を話したりする。
大西とはたまに話す。彼はいつも授業中机の上に鉛筆でバスや電車を落書きしている。相変わらず変わったやつである。
「白川T」
修学旅行で俺たちクラスをまとめてくれた担任の先生。
無意識に全身から醸し出す笑いのオーラはいとこを髣髴とさせる。
おじいちゃん版いとこといったところか。
その後白川Tは高校1年では担任を持たずB組の副担任に回った。
そのため毎日ホームルームをすることはなくなったが、今でもB組の担任の
研究日による欠席の際は白川Tはが出てきてホームルームをしてくれる。
正直担任よりも面白い。
「小杉B」
この小説の中でいい意味でも悪い意味でも最も大きな存在だった男。
彼はその後音楽に興味をいだき俺にも音楽をやれと迫ってきた。
その結果俺はエレキギターを買う羽目になった。
小杉はドラムを担当する予定で高校二年生の文化祭で生徒の前で曲を披露したいらしい。高校一年F組になった小杉は美術音楽選択で音楽を選んだ。
理由はもちろん音楽を選択すれば実際に楽器(特にドラム)が叩けると思ったから。しかし選択の音楽の授業では有名な音楽家の名前を覚えさせられたり
オペラのビデオ鑑賞をしたりと散々な目にあっている。
さらに成績もめっちゃ悪く高校という義務教育のたてまえが効かなくなった新たな世界で小杉はかなり苦戦している。
あと未だにテッドは見せてもらっていない。
以上が彼らの近況だ。
俺はこの物語を無事書き終えた。しかし始まりに戻ってみると
この物語を書き始めたのはある目的があったかららしい。
修学旅行でのとある疲労が原因で俺はその後熱を出した。
俺は完全に原因を知っていた。その疲労の原因を修学旅行の連載によって振り返ることではっきりさせようとしたのだ。45回の連載を経てそれは確信へ変わった。
俺が熱を出した原因、それは小杉Bによる俺の気疲れだったのだ。
あいつの発する言葉一つ一つに俺は健気に追い詰められ精神をすり減らした。
すり減らしたのは精神だけでなく身体面にも当てはまる。
一日目の夜から就寝にかけてのあいつのいじりで体は早くもボロボロ、
三日目の京都自由行動で班長になった俺は吉野家を探そうとスマフォゲームをしている水泳部2人をよそに駅内を無駄に走り回った。
自分が班長であるという責任があったからだ。
テッド鑑賞に乗り気でない俺にキレて枕を引き裂き、
三日目の京都自由行動の日も二連続で食べ物関係の店に行けなかった為この世のものとは思えない声を出し俺にキレた。
結論から言って小杉の隣にいる俺は気が休まることが一度もなかった。
その結果として俺は発熱した。
もういまだから言っちゃうが小杉Bの愚痴を書き連ねたかったのだ。
連載、物語というたてまえを利用して愚痴を吐き出し読者に読んでもらうことで
少しでもストレスを緩和したかったのだ。
しかし。物語を書き続けていくうちに次第にその気持は薄れていった。
ちゃんとした一つの作品を作ろう、後に残っても恥ずかしくない作品にしようと思い直したのだ。ちなみにどのへんで思い直したかというと20話過ぎた当たりから。
その気持を持ち続け俺はこの旅行記の本編を書き終えた。
その結果この作品は一つの文章作品としては西田学生涯初の超大作となった。
きっかけは小杉Bへのマイナスな気持ち。しかし今はもう違う。
俺はきっかけを与えてくれた小杉Bに感謝したい。
先生から与えられた800文字の原稿で終わってしまわなかったことを感謝したい。
俺にとって小杉Bはこの物語を生み出してくれた大切な人間の一人となったのだ。
そんなわけで小杉Bへの感謝も述べ終え満足したので、そろそろこの物語を終えようと思う。それじゃぁまたいつか、文章の作品か、はたまた映像の作品で逢いましょう。
西田学連載小説
西田学人生初の京都へ行く 完結
PS次回1年後のお話です。彼のその後を描きます。