wakeupandpresentの日記

いつもは映像作品を作ってます。ここでは西田学くんの大冒険を載せていきます。

「西田学人生初の京都へ行く」第45話「どのようにして西田は修学旅行を終えたのか」

45

 

1245

 

ホテルを出発。

予定では1時半だったので20分ほど早い出発となった。

バスの中では例によって小杉と隣になり

移動時間の間それぞれが買ったおみやげを見せ合った。

小杉は妹に対し八つ橋を買ってあげたらしい。京ばぁむはお母さん用と言っていた。

対する俺は一日目の旅館で購入した柿のお菓子を岐阜に、京ばぁむを兄に、

ご当地ノート、ペンセットを妹に、チョコレートをいとこに、そして八つ橋を

父と母に向けて購入したことを話した。

ただ実際に買ったおみやげを小杉Bに見せようと袋から出していた際

いとこ用に買ったチョコレートの裏の原材料に「卵黄」と書かれていたので

かなり焦ってしまった。いとこはたまごアレルギーの星の下に生まれた。

したがって卵料理を体内に摂取するとたちまち蕁麻疹を引き起こしてしまう。

熱を通したゆでたまごならまだしもクリーム生菓子などは大変なことになってしまうらしい。それでもいとこは己がケーキとかを食いたいがためにかなり頑張って卵アレルギー克服の訓練に勤しんでいる。これはその訓練に関してその母親から聞いたうろ覚えの話なのだがその訓練中にとある事故がおきてしまったらしいのだ。

訓練がある程度の区切りに差し掛かりいとこと卵に関する試験が行われることになった。そこで事故は起きた。はじめ生の卵白だけを食べたいとこは蕁麻疹を発症しなかった。しかし第二ステップとして食べた生の卵黄がまずかった。

体のあちこちをかきむしる可哀想な結果になってしまったらしい。

ほとんどうろ覚えなので合ってるか分からないが少なくとも俺にとっていとこのその話は非常に大きなインパクトを残していった。

いとこは確実に以前よりは卵アレルギーを克服している。

それでも俺の頭のなかでの卵アレルギーといとこに関しての最後の記憶は

母親から聞いたその話だったので、チョコレートを送ることはやめておいた。

急遽取りやめになったいとこへのチョコレートのお土産。その穴埋めとして何を

出せば良いのか。そして帰路へ向かうこのバス内でそんなことを考えていていいのか。てゆーか間に合うのか。と俺は急に思い悩みはじめてしまった。

 

1302

 

京都駅へついた。ここでおみやげを買う時間はない。

しおりにも書いてあり、さらに昨晩の最終班長ミーティングでも数学の先生から口を酸っぱく言われていた。しかし俺はさっきバス内で発覚したいとこへのお土産

代用品問題があるので完全に先生たちの意向を無視した代用品を探す旅へ出ようと決心した。京都駅には京都班別体験学習のグループが各それぞれで順次到着していく。俺たちおたべのグループは一番乗りであった。三日目の京都自由学習でここを訪れた際に京都駅はこの京都という都市の中心部分なのだということを感じた。京都内のすべての路線に通っておりまさに駅内は大変な人数の人であふれていた。

だから今日もここはどうせ人でうじゃうじゃしているんだろうと思っていた。

しかし駅内は思った以上にすっきりしていた。

一番乗りで他の平岡生がいないからか、集合場所が駅の外れだったからか、よくはわからなかったけど人がぜんぜんいなかった。てっきり人と人の間を自分がうまい具合に体を捻らせないと通り抜けられないような人間迷路が作られていると思っていたが人の通りがまったくなかった。ここで何かしらのイベントでも開催されるのかまだ木材むき出しのステージが建築されていた。

これは思った以上に俺には時間があるとみた。さっそく駅内へ入りどこでもいいからおみやげ店を探しいとこへのおみやげを探すのだ。

小杉もなぜかその時はいなかったのでわりかしスムーズに行動できた。

ここへちゃんと戻ってこれるように地下から攻めていこう。

地下の階段を降りると商店街のような広い居場所に出た。しかしひとたび駅内に入った瞬間人口密度が一気に急上昇!あふれんばかりの人、人、人!

まさに人のビックウェーブ。この人達の上でサーフィンができてしまう。

ボードをこの人々の上に放ちつるーんと腹ばいに滑っていけそうだ。

想像を凌駕する圧倒的なその人々に俺の気分は完全に萎えてしまった。

まぁいとこだしいいか、ヤツのことだ。柿のお菓子をもらうだろう。

そんな発送の転換〈パラダイム・シフト〉に成功した俺は地下へ潜り数分も立たぬうちに元の場所へ戻っていった。結果論としていとこへのおみやげはナシになった。

ごめんないとこ。

しかし彼のおみやげ探しに当てるはずだった時間が急に浮いた。

この時間どうしよう。それになんか小杉もどっかいっちゃったっぽいし。

よし、やることは一つ。小杉に邪魔されない純粋に俺一人が出る京都での動画を撮るのだ。はじめ行きの新幹線を撮っていた時点でもうすでに小杉に邪魔されていたから未だに小杉に邪魔されず無事に俺一人で撮り終えた動画は撮ってないことになる。よし、やってみよう。こうして俺は京都旅行最後にして初めての一人だけの動画を回し始めた。

 

1312

 

俺「旅しましょう、ちょっと。」

俺は右腕を目一杯に伸ばしカメラをこちら側に向けて撮影している。

いわゆる自分を自分で撮るセルフ撮影だ。

俺「腕目一杯伸ばさないといけないからねぇ恥ずかしい。」

 

流れる緩やかな時間。カメラもブレず、怒号も響かない。

これほどにも穏やかな動画があっただろうか。俺は建物の紹介などをした。

俺「あれが京都タワーですね、」

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京都タワー

カメラを撮る以上、視聴者のことをある程度は考えて行動しなければならない。

小杉Bはそのへんの気配りが激しく欠如している。

ちょっと長めのエスカレーターに乗りながら流れる風景を撮る。

まるでドリー撮影をしているようだ。ブレなく平行に画面がスクロールする。

合計にして2分ちょっとの動画。それでも撮り終えた俺は最後の仕事をし終えたような充実感に満たされた。京都で一人の散歩。それだけの動画。

それでもこの時の俺には撮り終えること自体が奇跡にも思えた。

なぜならこの動画は様々な不安要素を乗り越えて生まれたからだ。

撮影は時間的に見てラストチャンス。一回きりのチャンス。

小杉Bが絶対に現れないという確証もない。

もしかしたらそのへんのトイレに行ってるだけで撮影中に戻ってきてしまうかもしれない。そうなれば当然のようにカメラいじりが始まりすべてが無駄になる。

そんな緊張感があののほほんとした動画の裏側にはあったのだ。

正直オレは散歩自体したくなかった。二分もカメラをまわしたくなかった。

だがミッションは成功したのだ。

動画を終了する際に押したボタンの感触を俺は忘れないだろう。

俺「以上出演、俺、撮影、俺の動画でした。さよなら~。」

 

1320

 

生徒全員が集まった。

小杉はそこら辺のファミリーマートで大好きなiTunesカード3000円分を買っていたようだ。なぜ京都でする必要があるのか全く理解できない。

移動が始まる。もうここからしばらくは駅の中での移動となるので

この京都の風景とはここで見納めだ。様々な見納めがどんどん連続して押し寄せてくる。本当に旅も終わりなのだ。

 

1505

 

新幹線へ乗り込んだ。帰りの新幹線は東海道新幹線のぞみ232号である。

俺は小杉Bと通路をはさみながら隣同士で座った。

行き新幹線の際俺は小杉Bの勧誘にあった。

俺の隣へ来いと、しかし俺が小杉の隣に行くためには小杉の隣に座っている人間を俺の席へ移動させなくてはならなかった。しかし小杉の隣の生徒は小杉を除いた3人でトランプをし始めていたので移動することができなかったのだ。

そう言うと小杉Bはじゃぁお前の隣に座らせろといった。

そのためには俺の隣にいたリクを小杉Bの席に座らせる必要があった。

しかしそのリクは前方の上川と激しい攻防を繰り広げていたのでこちらも移動ができない状況だった。結局俺は今のままでいいじゃんとやんわり断った。

そのため行きの小杉Bは知らない三人と二時間を過ごすことになった。

帰りの新幹線の座席も決まっており例によって出席番号が隣同士ではない俺と小杉Bは別々の席になった。しかし帰りの小杉Bは席を移動しようとしなかった。

なぜか。

小杉Bは俺が勧誘を断った当初はメチャクチャブチ切れて俺に中指をたてつづけいた。しかし小杉Bはそのあとトランプゲームに入れたらしく、楽しく2時間を過ごした。そのため大阪に着く頃はすっかり機嫌がよく

小杉B「俺今まで大富豪のルールがわかんなかったんだけどわかるようになった、」

とニコニコと俺に話してくれた。そう、行きの新幹線で小杉Bは独り立ちをしたのだ。そんなわけで帰りの新幹線でも俺は小杉Bが横にいないというフリーな状況をつかむことができた。そこで俺は小説を読むことにした。小杉Bありでは成し遂げられなかったことだ。「コラプティオ」というクソ難しい政治小説を数十ページ読んだ。そしてあまりの難解さに気持ち悪くなり俺は目と一緒に本を閉じた。

いつも岐阜に向かうために乗る東海道新幹線。名古屋の先にはこんな場所があったのか。そう思いながら俺は眠った。

 

1720

 

ついにこの時が来た。

すべての始まりに再び戻ってきたのだ。東京駅である。

先生の確認を受ける。全員が新幹線から降りたかの確認である。

小杉Bは帰りもトランプを楽しんだらしい。

俺は後半の1時間は寝てしまった。

その後行きも配られた東京都23区内のJR線で使えるオレンジの切符をもらった。

コレで俺は池袋まで無料で帰れる。

この学校の良いところはいちいち無駄な場面がなくすぐさま解散になることだ。

しおり上に東京駅についた後に解散。同じ文章があっても

平岡学校は有言実行でこの通り2分でお開き。

他の学校では閉会式や校長の話やなんたらかんたら長々と退屈な時間を過ごすことになる。こうして平岡学校は解散となった。

俺は行きと同じ小杉Gを見つけ出し一緒に帰った。

本当に久しぶりに、ホント1年ぶりに彼に会ったような、そんな気がした。

都営大江戸線東新宿駅のホームへ向かう中俺と小杉Gはお互いの京都での生活を話し合った。小杉Gからは三日目の京都自由行動をどんなコースで回ったのかなどを聞いた。俺たちと違いかなり多くの文化財をめぐったらしい。

小杉G「他の皆がすごい文化財行きたがってさぁ

なんでも班長の小杉Gは担任の先生に提出する行動予定表を他の班員に見せた際に文化財が少ないと2つほど文化財を増やされたとのこと。俺と全く反対のパターンだ。俺の時なんか水曜の五時間目で話し合ってたことほぼどうやって合法的に

文化財を少なくできるかについてだぞ。

その後の俺の話しづらさといったらなかった。ある程度は小杉Gも笑ってくれていたが流石に金閣に行かなかったと行った時には一瞬「マジで?」みたいな顔をされた。俺からは三日目のオールナイトについて話した。

小杉Bを星人化してめちゃくちゃやったとか、三上がいる鍵がかかったトイレを

十円玉で開けておもいっきり首を絞められたなどたくさん話した。

最後まで話は尽きなかった。俺が要町で小杉Gと別れるまでずっとお互い話し合っていた。そして俺は帰路をたどり自宅へ数日ぶりに帰還した。

俺「ただいま~」

こうして西田学の長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い京都旅行は終わったのだ。

 

PS あと最終話、エピローグと続きます。最終話は1年後の話です。